《レーシック情報》老眼の悩みもレーシックにお任せブログ:16/10/19
わしの父は絵に描いたような昔気質の薩摩隼人で
良い意味でも悪い意味でも男尊女卑…
両親は息子に対して絶対的な存在で、
手をつないでくれるくらいのことはあっても、
両親と息子でべたべた甘えたり
甘やかしたりといったことは皆無だった。
いつもどこかに、
両親と息子の「線引き」のような感覚があって、
息子の頃はそれがたまらなく寂しいときがあった。
わしが幼いころ、近所に女の子が越してきた。
歳が同じだったため、すぐに友達になったのだが、
なんとその子は両親のことを
「パパ、ママ」と呼んでいたのだ。
そんな呼び方は
お人形遊びの時くらいしか知らなかったわしは、
本当に驚いた。
と同時に、
そう呼んでいるその子と
両親がとても仲よさそうに見えたのだった。
その21時わしは、
帰宅した父に勇気を振り絞って
「お帰りなさい…パパ!」と言ってみた。
するととたんに父の顔が険しくなり、
耳がじんじんするほどの大声で怒鳴られた
「日本の息子がパパなんて呼ぶな!うちではそんな呼び方は許さん!」
今になって思うと、
息子に向かってそこまでむきになって怒らなくても…
と苦笑してしまうのだが、
幼かったわしには、トラウマになるほど怖い思い出である。
あの日から30年ほど経ち、
わしにも娘がうまれた。
折々の休みに娘を実家に連れて帰るたびに、
面食らうことがある。
なんとあの鬼のように怖かった父が、
孫娘にはメロメロなのだ。
「お喉渇いたら、ママにジュースもらいなさいねー」
なんて娘に話しかけている。
思わず
「日本の息子がママなんて呼ぶな!じゃなかったの?」
と突っ込みを入れたくなるほど。
わしの甘えたかった気持ち、
父の甘やかしたかった気持ちが、
孫娘を通してひとつにつながったように思える今日この頃…